pesanteurの日記

simone weil に私淑し数十年。暗い夜は乗り越える他に、寝過ごすという手もあることに気づきました。

つまらない大人

私は誰なのか。

私はどういう人間なのか。

私が私を説明するならどういう言葉が必要だろうか。

 

自分を説明するにあたっての言葉。子供の頃と、今とでは、使う言葉が違うんだなと思います。帰りがけの電車で、向かいに座る母子をなんとなく見ていて思いました。

 

子供の頃は、好きなことやもの、お母さん大好きとか、砂場あそび大好き。だきまくらのベティちゃんと一緒がうれしい。とか。楽しくない話や、どこそこ幼稚園にかよって、という話は出てきません。

泣いて馬謖を斬る、そんな話をする子どもにはあったことがありません

 

年を取ってくると、好きなものの話は影を潜めます。代わりにでてくるのは、誰かや、どこかとのつながりがあること、◯✕大学に行ってますとか、✕✕会社ですとか。外側にある何かをもって自身を説明しているように感じます。

 

それともうひとつ大きな違い。

笑顔の量が激減します。笑顔デフォルトだった子供の頃とは違い、年を取ると不機嫌もしくは無表情が標準仕様。

 

人さまだけでなく私もです。

 

きっと若い人が、大人をつまらない大人というのは、そういうところを指しているのかもしれません。

 

なかなか笑えない、ずっと笑顔でいられない。それは自分一人で勝手にそうなったのではなく、周りの人、親や友達や先生、そういう人たちとのやりとりの中で、笑うばかりがいいわけじゃないと学んだ結果でしょう。きっと。

 

いいのか悪いのか、私も気がついたらつまらない大人になっていました。

残念ですな。。